1940(昭15)年に開催される予定であった幻の東京オリンピック(日中戦争の長期化により中止)
その4年前の1936(昭11)年
オリンピック競技の漕艇場誘致活動で当時の戸田村が選ばれ
埼玉と東京の境を流れる一級河川”荒川”に架かる笹目橋と戸田橋の間に翌1937年
”荒川”の水を取り込むかたちの漕艇場用プール建設が着手された
戦争の長期化でオリンピックは中止にはなったものの
コース建設は治水事業の一環としての目的もあったため工事は続行され
1940(昭15)年:全長2400m、幅70m(のち90mに拡幅)のプールに2昼夜かけ通水が行われ
戸田漕艇場が産声を上げた
そして
1954(昭29)年10月14日:戸田漕艇場の西端(笹目橋側)を仕切った戸田競走場で
埼玉県施行にて初のモーターボートレースが開催された
<昭和37年・埼玉県十市競艇組合主催・連勝単式勝舟投票券>
その後
幻の東京オリンピックから24年後の1964(昭39)年、オリンピック東京大会が開催決定
戸田漕艇場は、念願だったボート競技会場となった
その間(昭和37年11月1日〜昭和40年10月28日)の3年間、モーターボートレースは一時閉場された
埼玉県戸田市戸田公園8−22
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